die-in(ダイイン)
「社会」を見つめ、「世界」を感じる。それが悲惨だからこそ。
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「ほのめかし」の謎
よく事件報道で、取調べが始まって間もない被疑者について「××への関与もほのめかしています」といった言葉を耳にする。この「××」に入るのはたいてい「殺害」で、例えば死体遺棄容疑で捕まった被疑者が「殺害への関与もほのめかしています」となる。
これが昔から不思議だった。
まず「殺害をほのめかす」の具体的な状況があまり想像できない。
取調べを受けながら「(遺体を)埋めたのは埋めたんですけど、なんで死んでたかって言われたら、それは、こう、ちょっと、あれした感じで」かなんか言うのだろうか。あるいは「殺したか殺さないかって言われると、そりゃ、まぁ、どっちかっていうと、なんか、あれなんですけど」とかそんな具合だろうか。
いずれにしても不思議なのは、殺害を「ほのめかされた」取調官のほうが、なぜ突っ込んで決定的な回答を得ようとしないかだ。
だってそうだろう。プリンを食った食わないくらいの話なら「ほのめかし」をスルーする場合もあるだろうが、ことは殺人だ。取調べの最中、相手がそんなことをほのめかし始めたら、どう考えたって「それで、結局やったのかやってないのか!」とハッキリさせたくなる。
それなのに、「ほのめかしている」状態のまま、その場で問い詰めない取調官がどうにも多いんだ。日本中に山ほどいる。そうでなきゃ、あんなに頻繁に「ほのめかしています」という報道を見聞きしないだろう。

今枝弁護士のブログを読んで、その謎が解けた。
逮捕後の拘留には期限がある。死体遺棄で逮捕した直後に殺害を認めた場合、ほとんどタイムラグが無いので、殺人罪で再逮捕しても拘留期限はさほど伸びない。一方で、死体遺棄容疑で逮捕し、拘留期限が満了になると同時に殺人罪で再逮捕すれば、それから改めて拘留期限が設けられるから、要するに二倍の期間拘留しておくことが出来る。
つまり、拘留期間を延ばすために、わざと「ほのめかしている」状態で留保しておくということだ。「ほのめかし」報道の根源には、取調期間を延ばすための戦術があるらしい。
まぁ、そんなことやってるから「人質司法」なんて呼ばれてしまうわけだけど。
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【2007/12/04 17:26】 | 司法 | トラックバック(0) | コメント(2) |
冤罪と誤判 -部分否認は姑息な言い逃れか-
部分否認とは、裁判における検察の主張を部分的に否定することだ。例えば、死に至らしめたことは認めるが殺意は無かった、とかそういうやつである。
この部分否認というのは、司法の中でもとりわけ感情的に理解し難いものだ。「事実が多少違ってようが、結果としてやったことはやったんだろ」と思うのは素直な感情だし、「死に至らしめたことは認めるが殺す気は無かった」なんて言われれば「反省してない」と見えるだろう。
完全に無実の人が有罪にされてしまう「冤罪」は問題視されても、部分的な冤罪による誤判(犯行内容の一部に事実誤認があり、過剰な刑罰が課せられてしまうこと)はあまり取りざたされない。それも「多少の食い違いがあっても、やったことはやったんだから(それが過剰であっても)罰せられて当然」という世界観による。
こうした考えが少なくないため、多少の食い違いがあろうと事実関係は争わず、とにかく「すべて私が悪うございます。海より深く反省しております」と情状酌量を主張するほうが受け入れられやすく、重大な犯罪の場合は特にそうである。光市事件の元弁護人である今枝弁護士的に言えば「土下座弁護」ってやつだ。

さて、いきなり話は飛んで。
私は以前コールセンター(サポセン)で働いていたが、その職場ではよく「切り分け」という言葉を使う。
分かりやすく言うと、例えばお客さんが「パソコンが壊れたから、商品を交換してくれ」と電話してきたとする。そのとき、お客さんの言う「壊れている」とは具体的にどういう症状なのか、その症状からして何に問題があると思われるのか、どのような対処が必要なのか、ひとつひとつの要素を確認・検討し、詳細を判断していくのが「切り分け」の作業だ。
画面がまったく映らないなら、PC本体とモニタの接続が原因かも知れないし、画面表示の設定が原因かも知れないし、モニタが壊れているかも知れないし、PC本体が壊れているかも知れないし、単にコンセントが抜けているのかも知れない。
お客さんの希望をそのまま聞くのが「良い対応」なら、ゴチャゴチャ言わずに全交換すべきだ。
しかし、実際はそうならないのは、交換対応はメーカーにとってコストの高い対応だし、お客さんにとっても、PCを使えない期間が出来るなど負担の大きい対応だからである。
設定の問題なら電話口で解決できるのに、わざわざ日にちと金をかけて交換するのはお互いにとって非効率だ。たとえ面倒でも、必要最小限の対処で改善できるよう、アレコレと「切り分け」ていく作業はとても重要なものだ。

裁判においても、この「切り分けの思想」が重要で、それが裁判の本質だとすら私は思う。
なぜ、どの罪を、どのような人が、どれだけ、どう犯し、どう罰するのが適切か。詳細に検討するのが、本来あるべき裁判の姿ではないだろうか。
そして、感情としては「反省の無い姑息な言い逃れ」にしか聞こえない部分否認は、この詳細な検討において重要視されるべき要素のひとつだ。

例えばコンビニでおにぎりが盗まれたとしよう。
検察側は「被告は店員を恫喝した上に刃物で脅し、おにぎりを盗んだ。故にこれは窃盗ではなく強盗である」と主張したとする。
一方で被告の側は「確かにおにぎりは盗んだが、脅したのではなくコッソリ盗み取ったので窃盗だ」と主張している。その主張を受け、弁護人が「被告は刃物を所持していなかった」旨、「脅し取るほど大胆な行為に出るならおにぎりでは割に合わず、現金を要求するはずで、おにぎり強盗は行動として不自然である」旨を主張したとする。
ちなみに窃盗なら10年以下の懲役又は50万円以下の罰金、強盗なら5年以上の有期懲だ。
あたながおにぎりを万引きして、本来なら罰金を払って釈放される事件で5年の懲役になったら、それでも部分否認を「盗人たけだけしい」と切り捨てることが出来るだろうか。部分否認の主張を補完する弁護人を「悪者の味方をする奴」と非難するだろうか。
懲役刑に服している間に、会社はクビになるだろう、家族は崩壊するかもしれない、富山事件のように親が死ぬかもしれない。
ましてや、それが無期か死刑か、つまり自分の生か死かを分ける違いであったなら。「多少の齟齬はあっても認めて当然」というのは乱暴な論理だ。

もちろん罪は罪だ。傷害致死も万引きも罰せられるべき犯罪だ。
しかし、一方で過剰な刑罰が課されることも悲劇であって、何が「正当な刑罰」であるかは、詳細で厳格な事実認定によってしか判断できない。
【2007/10/31 19:17】 | 司法 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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Author:ささきち
1981年生まれ。150cm。
なんかいろいろマイノリティ。
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メールはdie-in@excite.co.jpまで。

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