鶴見済といえば、言わずと知れた「完全自殺マニュアル」の著者だ。
その後「人格改造マニュアル」でも話題を呼んだが、98年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、極中記でもある「檻のなかのダンス」辺りで作風が変わる。その後は目立った活躍をしなくなってしまった。 最近になって、本当に偶然、彼の今のブログを発見した。 あまりの変わりように驚いた。かつては自殺を肯定し、自己開発セミナーなどによる人格改造を希求し、薬物を肯定し、かなりアナーキーな印象だったのに、今はなんていうか普通の社会批判だ。 90年代初頭、空疎で薄い社会の中で、鶴見済はハルマゲドンを夢見た。社会がぶっ壊れ、混乱することでもたらされる「濃密さ」を切望していた。 彼が様々な「悪いもの」を求め・肯定せざるを得なかったのは、「そうでもしなければ生きていられない、生きる価値が無い社会」との強烈な切迫感があったからだ。様々な「悪いもの」は時代と格闘するためのツールだった。 しかし、95年に阪神淡路大震災が起こり、オウムが地下鉄サリン事件を起こし、「ハルマゲドンらしきもの」が実施に起きてしまった。 それで社会は「濃密」になったか。 結果はむしろ逆だった。社会はいっそう空疎で、共感不可能で、理解不可能で、浅く、薄く、リアリティの無いものへと加速度的に変容した。 だから、平凡な現実に立ち戻らざるを得なくなったのかも知れない。 現在の鶴見ブログで繰り広げられるのは、グローバル経済への批判であり、環境問題への危惧であり、言ってしまえば「地味」な話題ばかりだ。「完全自殺マニュアル」の頃の刺激的なアナーキズムは無い。 けれど、彼の変容について私は「正しい」と思う。彼の言っていることやイデオロギーが正しいかどうかの問題じゃない。ハルマゲドンを希求した頃の鶴見済が「悪かった」ということでもない。90年代初頭の彼には、それを希求せざるを得ない状況があっただろうし、なんていうか、状況的に仕方なかったんだろうと思う。 それでも、「ハルマゲドン」の洗礼を受けて、死にもせず、薬物中毒にもならず、現実に立ち返ったことに、私は言いようの無い感銘を受けた。 鶴見済は「ハルマゲドン後」の社会と間違いなく向き合った。「向き合う」なんて過去の彼からすれば(もしかしたら今でも)嫌悪すら覚える評し方かも知れないけれど、私はそのことをカッコイイと思う。 それで思い出したのは「希望は、戦争」で話題の赤木智弘だ。戦争によって階層が流動化し、不幸になるにしろみんなに平等の不幸が訪れ、ある種「リセット」された社会を生きていける。死ぬにしても尊厳をもって死ねる。 彼の「戦争」は、おそらくかつての鶴見済にとっての「ハルマゲドン」なのだと思う。 戦争を希求せざるを得ない、ということにまずは深く同情するけれど、それでも、鶴見済が変わらざるを得なかったように、赤木智弘もまた変わらざるを得ないときが来るように私には思える。 そして出来うるならば、それは「ハルマゲドンの洗礼」を受ける前であって欲しいと、切に願う。 ![]() |
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