die-in(ダイイン)
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プレゼン裁判を裁判長が主導するのか? (前)
すみませんが、勉学に加えて来月からバイトも始まるので、しばらくはニュース的な記事のみになると思います。本当は時間をかけて総論的なものも書きたいのですが、なにしろ処理能力の高くない脳一個でやってるもんで。

今日は裁判員制度について。
◆『分かりやすさ』に課題多く 模擬裁判を検証(07年11月25日 東京新聞)
(前略)
裁判のポイントは、検察、弁護側の異なる主張のうち、裁判員らがどちらの方に説得力があると判断するかだ。裁判員は法律の専門家ではないので、工夫したプレゼンテーションが求められる。
 「スクリーンに注目してください」。検察側はパソコンを操作しながら、法廷内に用意されたスクリーンに、主張をまとめた文章や現場の見取り図を映し出し、裁判員にこう繰り返した。従来は書面を読み上げることが多かったが、裁判員が理解しやすいよう視覚に訴える試みだ。弁護側も同様の手法を取り入れた。

(中略)
これに対し、弁護人役の山下雄大、石井裕一両弁護士は、パソコンを多用するなど従来より“プレゼン重視”の公判について「検察側のように人手が豊富ではない弁護側には負担が大きい」と漏らす。「本来、立証責任は検察側にあり、弁護側は『検察側の主張はおかしい』と思わせればいいはず。なのに『どちらの主張が正しいか』というように見られている」とも感じたという。
また、両弁護士は「分かりやすさ」や時間短縮を重視する裁判の進め方には不安感をのぞかせる。「裁判員が考える時間が少ないと、裁判が“インパクト勝負”になってしまう。時間をかけることで気付くこともある。証拠について、しっかり話し合ってほしい」
(後略)

◆簡略化は可能か?
素人である「市民」には分かりやすい説明が絶対に必要です。ただ、それが本当に「裁判の公正さ」と折り合いが付くのかは疑問です。
簡潔に分かりやすくする、とは、基本的に複雑さをそぎ落としていく作業です。そこでそぎ落とされたものが、本当に(有罪・無罪や量刑の判断に影響しない程度の)落としても良い部分なのかを、すべての裁判員裁判において正確に判断することなど出来るのでしょうか。
ましてや、裁判員裁判が適応されるのは重大な犯罪(放火・殺人・強盗強姦など)のみとされていますから、かなり複雑な経緯や証拠判断が必要な場合も当然予想されます。また重罪である分、有罪になった場合は量刑も当然重いものになります。
裁判員が素人だからといって、それに合わせて事件の複雑性が変わってくれるわけもありません。それを「簡潔に分かりやすく」説明して本当に大丈夫なのか。

◆検察官・弁護人の業務拡大
検察官・弁護人とも、特にプレゼンのテクニックを勉強して来た人たちではありません(中にはたまたまそういう経歴の人もいるかも知れませんが)。
裁判員裁判においては、プレゼン能力が検察官・弁護人として重要な能力のひとつにならざるを得ません。もちろん今までの裁判でも、いかに裁判官に説得力を持って聞かせるか、といった意味での演出というかプレゼンはあったんでしょうが、素人相手となるとまったく違う性質の話です。
言うまでも無く本来的には、プレゼン能力なんて「公平な裁判」とは何の関係もありません。というか、プレゼンのハデさや説明の分かりやすさといった「見た目」にとらわれず、事実を冷静に判断すべきとされているのが裁判官であったはずです。
しかし、裁判員裁判では、判断するのが素人である以上、実際の証拠の有力性や事実関係よりも、それらを「いかに見せるか」が大きな影響を与えると思われます。
今までの仕事にプラスαとしてそうしたプレゼン能力が求められることになれば、記事にもあるように不利なのはモッパラ弁護側でしょう。検察官は国家公務員ですから、ハード(場所・もの)もソフト(人・教育)も雇い主である「国」が用意してくれますが、弁護人の場合はそうもいきません。被告人が大富豪なら別かもしれませんが、残念ながらそういうことはほぼありえません。
今でさえ「刑事弁護は金にならん」と不人気なのに、この上また業務負担が増えることになれば、刑事弁護を引き受ける人は更に減ってしまう恐れもあります。そして、いかに弁護人が使命感に燃えた能力も体力もある人であれ、人間ですから負担は負担です。こうした負荷が判決に影響しない、とは言えないように思います。

◆裁判って何を立証する場所なのか
記事の中で、弁護人役を務めた弁護士から「本来、立証責任は検察側にあり、弁護側は『検察側の主張はおかしい』と思わせればいいはず。なのに『どちらの主張が正しいか』というように見られている」との指摘があります。
これはかなり重要な指摘だと思います。そもそも日本では、一般的に「検察に立証責任がある」ということの理由や意味が、理解されているとは言いがたいからです。
本来、裁判は「検察の主張が、合理的な疑問の余地が無い程度に信用できるものか」を判断する手続きです。つまり問われているのは検察側の主張の信憑性です。そのため、検察側が自分の主張を証明する責任(立証責任)があるわけです。
なんでそうなってるのか大雑把に言えば、基本的に「検察よりも被告・弁護側のほうが不利な状況にある」とされているからです。前著のように、ハード・ソフトとも検察と弁護側では歴然たる差があります。弁護側のために国から捜査員が派遣されるわけでもありませんし、そもそも弁護側は捜査権限をもって証拠を集めることも出来ません。
ですから、立証責任はあくまでも検察側が負い、弁護側はそれに「合理的な疑問」を呈するだけで良いとされているわけです。
しかし、日本では裁判を「検察と弁護側とどっちが正しいか判断する」とか、最近だと「被害者と加害者の対決」と理解している人が少なくありません。
その中でお互いがプレゼン合戦をすれば、指摘の通り「どっちが正しいかを判断する」心理になっていくのは必然かもしれません。そうなれば当然、弁護側が圧倒的に不利です。


別の裁判員関連の記事も紹介する予定でしたが、長くなったのでまた明日。
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