die-in(ダイイン)
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プレゼン裁判を裁判長が主導するのか? (後)
間にいくつかエントリーをまたぎましたが、後編です。

裁判員より目立つ裁判官の発言 立命大准教授、模擬裁判評議を分析(07年11月26日 京都新聞)
裁判員制度の模擬裁判で、裁判官3人と市民から選ばれた裁判員6人が判決を導くために意見を交わす「評議」を分析した結果、裁判官の発言数が全体の6、7割を占め、裁判長はあまり発言しない裁判員に比べて10倍以上も話していることが、立命館大の堀田秀吾准教授(法言語学)の研究で分かった。裁判長と裁判員とのやりとりが中心で、裁判員同士の会話が極端に少ない傾向もみられ、堀田准教授は「市民が主体的に参加できるよう、さらなる工夫が必要だ」と提言する。
(中略)
 その結果、議論のルールや法律の説明など、裁判官による発言が必要な場合を除いても、裁判長の発言回数や発話量が全体の5割近くを占めていた。ある地裁で今年行われた評議では、裁判長が532回発言したのに対し、裁判員1人の平均発言数は137回、1番発言の少ない裁判員は41回だった。 (後略)

掘り出しニュース:全国の模擬裁判 裁判官しゃべりすぎ? 発言の60~70%占める(07年11月27日 毎日新聞)
以下、一部のみ抜粋。
しかし、京都地裁で05年と今年に実施された模擬裁判では、裁判官の発話量が64%から54%に減少。裁判員同士のやり取りも18%あり、若干の改善もみられた。また、裁判官が述べた意見の60%超が供述調書や法廷証言など直接的証拠に基づいていたのに対し、裁判員は想像した状況・場面や自己の経験を反映させたケースが60%以上だった。

法言語学なんていう学問があるのかって驚きとか、これは掘り出してる場合じゃなくてかなり重要なニュースだろという憤りはさて置き。
非常に有意義な記事でしたので、ぜひ元サイトで全文をご確認ください。

素人である市民が裁判に参加すること自体、いろいろと危惧されてはいますが、仮にも「市民参加」を大々的にうたっている以上、評議において裁判員が中心的な役割を果たすのが道理でしょう。人数的にも、職業裁判官より裁判員のほうが多い(3対6)わけですし。
しかし、この分析結果によれば、職業裁判官全体(3人)どころか、裁判長一人の発言が全体の5割を占めていたのです。これじゃ裁判員がいる意味が無いというか、職業裁判官(裁判長)が評議を誘導していると言われても仕方ありません。
改善しても今のところ「裁判員同士のやり取りも18%あり」っていうか、裁判員同士のやり取りが18%しかないのですから。
旧ブログでも、裁判員制度が結局のところ、判決に対する裁判所の責任逃れに繋がるのではないかと書きました。
裁判員の判決は誰が責任を負うのか
PFI刑務所は「小さな政府」に繋がるか
このニュース記事を読んでその思いを更に強くしました。裁判長が中心になって評議を行い、実質的には裁判長が判決を出しておきながら、判決の責任だけは「だって、あんたも参加したでしょ」と裁判員である市民に負わせる。
それが「あるべき新しい司法の姿」なのでしょうか?

また気になったのは、毎日新聞の記事にある「裁判官が述べた意見の60%超が供述調書や法廷証言など直接的証拠に基づいていたのに対し、裁判員は想像した状況・場面や自己の経験を反映させたケースが60%以上だった。」という部分です。
裁判員の個人的な人生経験や、「市民の感覚」を反映させるのが裁判員制度の大きな目的のひとつです。しかし、そうした経験や感覚は、しばしば公平な判断や正確な判断とは乖離してしまうこともあります。魔女裁判のような民衆裁判はその典型的な例です。
もちろん、今の司法(職業裁判官による判断)が、あまりにも紋切り型というかテンプレート的で、それはそれで問題もあろうかと思います。ただ一方で、個人的な経験・想像による判断も危ない側面があるわけです。
特に今の日本は、刑事弁護人が頻繁にバッシングされるような状況ですから、事案によっては社会的な高揚から、公平な判断が期待できない可能性もあります。
裁判員制度においては、そうした点にかなり留意する必要があると思います。個人的な想像・経験からの発言が6割というのは、逆に言えば直接証拠に基づいた発言は多くても4割しかないわけです。ただでさえ(職業裁判官に比べて)裁判員の発言が少なく、その発言もほとんどが個人的な経験・想像から来ているとすれば、かなり問題です。
「市民は直接証拠より経験や想像を重視してしまうから、裁判長がちゃんと議論を引っ張っていかなくてはいけないんだ」という反論もあり得ますが、だったら最初から今の制度でやれば良いじゃん。
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【2007/11/30 23:55】 | 裁判員制度 | トラックバック(1) | コメント(0) |
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厚生労働省の体質変わらず+裁判制度の問題点
毎日~毎日~僕らは鉄板の~上で焼かれて嫌になっちゃうよ~ という歌が思わず出てしまうぐらい、毎日毎日庶民にとってひどいニュースが飛び込んできます。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071130-00000961-san-soci 薬害肝炎 厚生労働省調査チーム国の責任認... 駄文徒然日記【2007/12/01 14:31】
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