die-in(ダイイン)
「社会」を見つめ、「世界」を感じる。それが悲惨だからこそ。
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「負の連鎖」の帰結としての自殺 ~友人Mのケースから~(1)
お久しぶりです、という挨拶が慣例化している当ブログでございます。
イヤハヤ。もはや月一更新が基本スタンスになっておりますな。

本日は自殺関連の話題。NPOなどの調査によってまとめられた「自殺実態白書2008」を取り上げたものをいくつか。
◆マル激トーク・オン・ディマンド「見えてきた自殺大国日本の実相」
◆視点・論点「自殺3万人(1)なぜ減らないのか」

白書には重要なポイントがいくつもあり、視点によってかなり多岐に渡る問題点・改善点が見えてくる。残念ながら私には全体をフォローする知識も時間も無いので、関心のある方はぜひともマル劇をご覧いただきたい。

で、個人的に印象に残ったのは、自殺によって死に至った人が「自殺時に平均4つの危機要因(自殺に繋がりうる要因)を抱えていた」という部分だ。
「いじめ自殺」報道が顕著であるように、自殺はとかく何か一つの要因(原因)によって自殺した、と捕らえられることが多い。例えば「いじめられて死んだ」とか「前日に教師から叱られて死んだ」とかナントカ。
そうやって死の理由をひとつに絞って捕らえると、どうしても「それくらいで死ぬなんて」と思われてしまう。だからこそ自殺は、「死んだやつが弱い」「命を粗末にしている」「簡単に死ぬな」などと長年揶揄されてきたのではないか。
しかし現実には、一つのトラブルが次の問題を生み、その問題が更なる深刻さを生み、と「負の連鎖」を繰り返して最終的に死(自殺)へ追いやられていくケースの多いことが白書で明らかになっている。

この部分がひときわ印象に残ったのは、今まさに、私の身近にそういう知人がいるからである。
その知人(M)は10年近い付き合いになる友人だ。彼女はセクシャルマイノリティのコミュニティを通じて知り合ったバイセクシャルである。
Mはここ数ヶ月、強い自殺念慮に駆られて自殺未遂を繰り返している。6月末には100錠近い向精神薬を飲んで寝込み、7月頭にはリストカットをして4針縫った。体調も悪化して、仕事は遅刻・欠勤・早退を繰り返し、今では部署も移動になってしまった。
こうなった「きっかけ」は失恋である。彼女が自殺によって死ねば、世間的には「失恋を苦にした自殺」と認識されるのかも知れない。週刊誌だったら、「禁断の愛が産んだ悲劇!レズ失恋で自殺・・・」などと銘打ちそうなところだ。
けれど、その単純すぎる認識は(あえてウソとは言わないが)「あまりにも不正確」である。
彼女が今の状態に陥るまでには、私が知るだけでも相当多岐に渡る要因がある。Mが自殺未遂に至るまでに、一体どのような「ストーリー」があるのか。長くなったので次エントリーに続く。
【2008/07/27 15:53】 | 自殺 | トラックバック(1) | コメント(0) |
YouTube 自殺対策関連の番組
UPされていたのでお知らせ。
NHK「福祉ネットワーク」で放送されたものです。

自殺と向き合う ~電話相談の現場から~
http://www.youtube.com/watch?v=hOwyjhJYsI8
http://www.youtube.com/watch?v=bQwMwqZgjyQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=9lyMTxT0WAY&feature=related

東京自殺防止センターを取材したものです。
リアルタイムで観た記憶がありますが、なかなか良い番組でした。

東京自殺防止センター
【2008/06/03 01:58】 | 自殺 | トラックバック(0) | コメント(0) |
遺族と報道 =西村議員の手記から=
みなさま報道でご存知とは思いますが、今月9日、国会議員である西村真悟さんのご子息が衆議院赤坂宿舎から飛び降り自殺しました。私は西村議員とイデオロギー的に相容れませんが、それはそれ。
亡くなったご子息は私と同じ年齢でもあり、ご遺族のお気持ちは察するに余りあります。心よりご冥福をお祈りします。

さて、自殺に関して西村議員がメルマガで書かれた文章を転載します。

私と妻伴子の息子である西村林太郎のことがニュースで報道されました。私は報道内容を知りません。しかし、報道された以上、事実を知っていただくことが必要と思い、この場を借りてお伝えします。

昭和五十六年八月十四日に生まれた長男の西村林太郎は、
九日、衆議院赤坂宿舎二十階の私の部屋のベランダから転落し、同日十二時七分に医師により死亡が確認されました。
林太郎は、出版社に勤務しておりましたが、昨年末より、鬱状態に陥り、八日午後四時頃より、慶応大学病院精神科で診察を受け、強い鬱状態と診察されました。
私どもは入院させるつもりで、本人も入院も仕方がないという感じでしたし、医師も入院治療が適切と言われました。しかし、ベッドに空きがなく、その日入院することはかないませんでした。そして、九日の午前十時から十一時の間にまた慶応大学病院に来て受診するようにと指示されました。
そこで、本人と母親は医師から薬をもらって宿舎に帰り、私は一旦離れて所要を済ませて後に合流し、林太郎をよく知る友人を交えて楽しく食事をしました。友人と別れるとき、林太郎は笑ってありがとうございます、と言っていました。そして、宿舎に帰って本人は薬を飲み就寝しました。

私は、九日の朝九時半に宿舎を出ましたが、その際、林太郎によく眠れたか、病気と分かれば、おおらかに立ち向かおうよ、と声をかけました。本人は、子供の時に戻ったような穏やかな表情をしていました。
その後、十時二十七分頃、本人を慶応病院に連れて行くために、三十五分頃に車を付けると妻の携帯に電話すると、妻は、林太郎が居なくなっていると叫びました。その時私は、日枝神社付近から議員会館の方に向けて走っていましたが、驚いて直ちに宿舎に向かいました。
そして、宿舎のベランダから身を乗り出して真下を見て、仰向けに横たわっている林太郎の姿を認め、妻が119番通報をした次第です。

その時、宿舎には、妻と本人の妹がおり、林太郎は、病院に行くために服を着替えていました。そして、妻がおよそ二十秒ほど林太郎から目を離した間に、忽然と姿が消えていたといいます。ベランダは高く、腹のところまで身を乗り出さなければ真下が見えないので、妻らはベランダから下を見ても林太郎の姿を発見できず、ドアから廊下へ出て行ったのではないかと切に願って探していました。
その後、救急隊により、林太郎は慶応義塾大学病院に搬送されました。搬送されるまでの救急隊の懸命な救命活動、病院に着いてからの、救急医学チームの懸命な救命活動、それらを経た十二時七分、私どもの立ち会いの下、医師により林太郎の死亡が確認されたのです。

私どもは、この突然の取り返しのつかない悲しみのなかで、何故、林太郎の転落を止められなかったのかと、きつい、痛い、自責の念にかられています。そのなかで、あの目を離した二十秒足らずのなかでの、林太郎のことを思うとき、あの瞬間、鬱の苦しみから解放され、永遠の安らぎに向かって神に召されたのだと確認しあっています。
神が、彼に、もういいよ、と語りかけてくださったのではないかと。

林太郎は、母親には、鬱状態が現れてから、死にたい、というようなことを時々言っていたようです。そのように言った後では、また、ケロッとした様子なので、妻は、あまりその言葉に強く反応して反発しないようにしていたようです。
しかし、林太郎は、そのなかで、僕にもしものことがあったら僕の臓器を提供して欲しい、と言っていたのです。そして、その言葉を妻が私に伝え、私どもは、林太郎の最後のこの世への思いを残すため、角膜と心臓弁の提供を慶應義塾病院に申し出ました。林太郎の角膜は、二人の方の目に光を取り戻し、林太郎の心臓弁も二人の人の命を守ることになると告げられました。

私どもは、九日、午後八時五十分過ぎ、臓器提供の最後の手術を終えた林太郎を、学習院大学の多数の同窓生が涙して見送ってくれた後、林太郎の郷里である堺に向けて慶應義塾病院をあとにして、十日午前四時半に堺の自宅に到着しました。
林太郎は、多くの人に愛されていた子であることを確認できて、私たちは嬉しかったです。

以上が、私たちの息子である林太郎のことです。
場所が衆議院宿舎であったことで、大変ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。
東京都救急隊の皆さま、慶應義塾大学病院救急医学チームの皆さま、まことにありがとうございました。

また、マスコミの関心が集中して、カメラが救急車の窓から中を写そうとして、救急車の前進が阻まれました。さらに、病院の救急措置室や霊安室のまえにもマスコミの皆さんが長時間にわたり詰めかけていました。私たちは、外へ出ることができませんでした。
このような状況の中では、事実に反することが流布されかねないと危惧されましたので、林太郎のプライバシーに係わることではありますが、父として、午後二時過ぎ頃、マスコミの皆さんの前で手記を読み上げ、さらにここに公表させて頂くしだいです。
皆さま、ここまで林太郎のことをお読み頂いて
まことにありがとうございます。
いずれに、今や神に召され永遠の安らぎのもとにある息子である林太郎こことを、さらに詳しくお伝えする余裕も生まれると思います。


最後の部分に書かれているマスコミの態度はあまりにも酷く、西村議員が「事実に反することが流布されかねないと危惧」したのも頷ける。
公人とはいえ、心の整理が付くはずも無い時期に、遺族がこのように経緯や心情を説明せざるをえない状況は一体なんなのか。犯罪被害者遺族にしても、「家族が死んだんだから、それについてどう思うか話して当然」と言わんばかりの態度がメディアでは既に常態化してしまっている。
けれど当たり前だが、ふつう人は、家族を亡くしてすぐに「どういう経緯で亡くなって、それについてどう思っているか」なんてことを説明できる状態に無いし、説明したくもないし、説明する必要も本来は無い。
それにも拘らず、「お気持ちは」とカメラを向けられ、マイクを突きつけられるのだ。それも大勢から、執拗に。何もコメントしないのが悪いことであるかのような錯誤にすら陥ってしまう。

混乱状態にある遺族に、ここまで「理性的」な手記を作って読み上げさせてしまったことを、マスコミの方々は深く反省して頂きたい。
【2008/01/12 18:12】 | 自殺 | トラックバック(0) | コメント(0) |
自殺の事実を黒塗りで隠すな
福岡いじめ自殺:黒塗り記録に不服 両親が法相に開示請求(07年11月30日 毎日新聞)
福岡県筑前町の中学2年、森啓祐君(13歳)がいじめを苦に自殺したことを巡り、両親が30日、福岡法務局の人権侵犯調査記録の大半が黒塗りだったことを不服として、鳩山邦夫法相に審査請求書を提出した。行政不服審査法に基づき、黒塗り部分の開示を求める。(後略)

元サイトでは記者会見の写真が載っており、人権侵犯調査記録を手にしたご両親の様子が分かります。元の字数が定かではないので断定できませんが、見たところ8~9割くらい塗りつぶされているのではないかと思える状態です。よくこんなものを遺族に出したなと思います。
この件に限らず、自殺の場合は自殺であること自体が伏せられたり、「死んだものを今更詮索するな」という周囲の雰囲気に遺族が圧倒されて、死の真相を知れないケースが多々あります。
そして、遺族がその後の生活を送っていく中で、なぜ死んだのかが分からないことは大きな苦しみの原因ともなります。
政府は近年になってようやく自殺対策に手をつけ、年間自殺者が3万人を超えて8年もたってから「自殺対策白書」を初めて発行しました。しかし、この福岡法務局の対応を見る限り、未だに自殺や、その背景を隠蔽しようとする強い姿勢が見受けられます。
自殺予防の観点からも、遺族支援の観点からも、情報公開は必須です。だれが、なぜ、亡くなってしまったのか。その事実と向き合わない限り、状況は前進しないのですから。
【2007/12/01 20:23】 | 自殺 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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ささきち

Author:ささきち
1981年生まれ。150cm。
なんかいろいろマイノリティ。
旧ブログはこちらです。
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